大阪に在る教会ホームページ-神の永遠の御計画-




The Economy of God

神のエコノミー



聖書における神のエコノミー

 新約は旧約と関連しています。このことは、ヘブル人への手紙第十章七節によって示唆されています、「その書の巻物の中にわたしについて書かれている」。この書とは旧約を指しており、旧約の明確な言葉か、予表のどちらかの方法で描かれたキリストに関する完全な記録をわたしたちに与えます(ルカ24:27、44、46、ヨハネ5:39、46)。
 アウグスティヌスはかつてこのように言いました、「新約は旧約の中に含まれており、旧約は新約の中で説明されている」。わたしたちは次のように言うことができます。「新約は旧約の中にあり、旧約は新約で説明される」。つまり、新約は旧約の中にあり、旧約は新約によって説明されます。


キリストに関する中心路線

 新約が旧約に含まれているとは、どういう意味でしょうか? 旧約に含まれている新約の内容とは何でしょうか? ある人たちは、旧約には、キリストに関する多くの約束、予言、予表、影があると言うかもしれません。これは、もちろん正しいです。旧約のすべての約束、予言、予表、影の中心はキリストだからです。しかし、わたしたちはもう一歩踏み込んで、このように尋ねなければなりません。「一体どのようなキリストが旧約の中に約束され、予言され、予表され、影とされてきたのでしょうか?」。あなたはこのようなキリストについて簡潔に述べることができますか?
 旧約がキリストを王として提示しているのを見ることは、たとえ啓示がなくてもたやすいことです。創世記第三章十五節によれば、キリストは蛇の頭を砕く方です。しかし、この節はキリストが何であられるかという中心的な事には触れていません。旧約のキリストに関する中心路線とは、キリストは永遠の神であり、肉体を取って来られ、地上で生活し、十字架で死なれ、復活し、昇天し、また下ってこられたことです。この主要な七つの点こそ、旧約の中で約束され、予言され、予表され、影とされたキリストの中心路線です。キリストが永遠の神であられることについて、ミカ書第五章二節は、彼の起源は昔から、永遠の時代からであると言います。さらに、イザヤ書第九章六節は、彼は全能の神であると言っています。
 どういう目的で、永遠の神であるキリストが肉体となり、地上で生活し、十字架で死に、死人の中から復活し、昇天され、下ってこられたのでしょうか? 聖書の浅薄な知識しか持たない人々はこう言うかもしれません、「キリストが人となり、地上で生活し、十字架につけられ、復活し、昇天し、下ってこられたのは、わたしを地獄から救い、天にもたらすためです」。新約の光の中で、わたしたちは、永遠の神であるキリストが肉体となり、地上で生活し、十字架で死に、死人の中から復活し、昇天し、下ってこられたのは、神の選ばれた民の中に三一の神を分与して、教会を生み出すためである、とはっきり言うことができます。旧約では、「教会」という言葉を見いだすことはできませんが、ある人たちは教会を予表しています。例えば、エバとリベカは共に教会の予表です。ですから、キリストと教会が旧約の中に含まれています。


神聖な啓示の完成

 新約は神聖な啓示の完成です。コロサイ人への手紙第一章二五節で、パウロは言います、「わたしは、神の執事職にしたがって、その奉仕者になりました。それは、あなたがたのためにわたしに与えられたものであり、神の言葉を完成するためです」。神の言葉は神聖な啓示です。これは新約以前には完成されていませんでした。新約において、使徒たち、特にパウロが神の奥義であるキリストにおいて、またキリストの奥義である教会において、神の言葉を完成し、わたしたちに神のエコノミーの全き啓示を与えたのです。使徒パウロの時代には、神の言葉と言えば、旧約と初期の使徒たちが宣べ伝えた言葉を含んでいました。初期の弟子たちによって宣べ伝えられた神の言葉は成長し、増し加わったのですが(使徒12:24)、まだ神のエコノミーにしたがって完成されてはいませんでした。これを完成するために、神の啓示がパウロに示される必要があったのです。神の執事職にしたがって、パウロは教会の奉仕者となって、神の言葉を完成しました。もしわたしたちにパウロの書簡がなかったとしたら、どれほどの不足が生じていたか考えてご覧なさい。これらの書簡がなかったなら、神の言葉の完成もなかったでしょう。  パウロは神の奥義であるキリストの啓示を受けました。コロサイ人への手紙第二章二節で、彼は「神の奥義なるキリストを知る全き知識」と言います。エペソ人への手紙第三章四節で、彼はキリストの奥義について述べています。コロサイ人への手紙第二章二節の神の奥義はキリストであり、エペソ人への手紙第三章四節のキリストの奥義は教会です。パウロはまた神の経綸に関する啓示を与えられました(Uコリント13:14、エペソ3:14―19)。ですから、神の言葉の完成は、偉大な奥義であるキリストと教会(エペソ5:32)、かしらなるキリスト(コロサイ1:26―27、2:19、3:11)とからだなる教会(エペソ3:3―6)に関する全き啓示を含んでいるのです。  コロサイ人への手紙第一章二六節と二七節で、パウロは「その奥義は各時代にわたって、また各世代にわたって隠されてきましたが、今や神の聖徒たちに明らかに示されています。神は彼らに、異邦人の間にあるこの奥義の栄光の豊富がどんなものであるかを、知らせたいと願われました。それはあなたがたの内にいますキリストであり、栄光の望みです」と述べています。この奥義とは、今日わたしたちの命であり、将来わたしたちの栄光となられるわたしたちの内にいますキリストご自身です。現在、この栄光はわたしたちの望みです。神聖な啓示の完成とは、奥義として、また栄光の望みとして、わたしたちの中に神を分与しにこられたキリストに関するものであることを、わたしたちはこれらの節から見ます。

神の新約のエコノミー:
神の家庭の管理、神の家庭の行政上の按配、神聖な経綸

 神の新約のエコノミーとは何でしょうか? 神の新約のエコノミーとは神の家庭の管理、神の家庭の行政上の按配、神聖な経綸(計画)です。ここの経綸の意味は、按配、すなわち計画です。
 このエコノミー、この経綸はエペソ人への手紙第一章十節と第三章九節で啓示されています。エペソ人への手紙第一章十節は言います、「時代の満了時のエコノミーへ至るためです。すなわち、キリストの中で、天にあるもの地にあるもの、すべてのものを彼の中で、かしらにつり上げようとされたのです」。ここで「エコノミー」と訳されたギリシャ語は「オイコノミア」で、英語の「economy」(エコノミー)はこの言葉から来ています。神は一つのエコノミーを持つことを計画されました。宇宙のあらゆる王国、すなわち天使の王国も、人の王国も、動物の王国も、植物の王国も、すべてこのエコノミー、この経綸のためであり、それらはその完成に向かって動いています。
 エペソ人への手紙第一章十節で「エコノミー」と訳されたギリシャ語は、「執事職」とか「家庭の按配」と訳すこともできます。また「行政」という言葉を使ってもよいでしょう。なぜなら、やがてこのエコノミー、執事職、家庭の按配は永遠の行政となるからです。宇宙全体は、やがて一つの行政の下に置かれるでしょう。ここで行政という言葉を使うのもよいでしょうが、わたしはむしろエコノミー、執事職、家庭の按配という言葉を好みます。
 神の目的に関する「エコノミー」という言葉は、多くのクリスチャンにはなじみが薄いかもしれません。エコノミーのギリシャ語である「オイコノミア」はエペソ人への手紙でもう二回使われています。わたしたちはすでに見ましたように、エペソ人への手紙第一章十節で、パウロは時代の満了時のエコノミーにおいて、すべてのものがキリストの中でかしらにつり上げられると言っています。続いて、第三章二節で、彼は神の恵みの執事職に言及し、第三章九節では奥義のエコノミーに言及しています。第三章九節で、パウロは言っています、「万物を創造された神の中に、各時代にわたって隠されてきた奥義のエコノミーが何であるかを明らかにして、彼らが見えるようになるためです」。神の奥義とは、神の隠された目的です。神の目的はご自身を彼の選びの民に分与することです。ですから、神の奥義のエコノミーがあります。この奥義は各時代にわたって、すなわち、永遠から過去のすべての時代を通して神の中に隠されていましたが、今や、それは新約の信者たちに明らかにされたのです。
 テモテへの第一の手紙第一章四節で、パウロは「信仰の中にある神の分与(エコノミー)」に言及しています。再び言いますが、「エコノミー」と訳されたギリシャ語は、「オイコノミア」です。ここの「神のエコノミー」のギリシャ語は、神の家庭のエコノミーという意味でもあります。神ご自身をキリストにおいて神の選ばれた人たちに分与すること、これが神の家の行政であって、その目的は、神が一つの家を持って、神ご自身を表現することです(Tテモテ3:15)、キリストのからだです。パウロの務めの中心はこの神のエコノミーです(コロサイ1:25、Tコリント9:17)。


彼の大いなる喜びによって神が立てられた計画

 神の新約のエコノミーは、彼の大いなる喜びによって神が立てられた計画です。これについて、エペソ人への手紙第一章九節は言います、「みこころの奥義をわたしたちに知らせてくださいました。これは、神がご自身の中で計画された彼の大いなる喜びによるものです」。神の大いなる喜びとは、神の心の願いを言います。この大いなる喜びとは、神がエコノミー、計画のために(10節)、ご自身の中であらかじめ計画されたものです。この計画は神の大いなる喜び、神の心の願いによって立てられました。
 神の大いなる喜びは、神がご自身の中であらかじめ計画されました。これは、神ご自身が神の永遠の目的の意図、起源、領域であるという意味です。神は計画、願いを持っておられ、またその計画にしたがって、彼は目的を持っておられます。宇宙の存在は神の目的にしたがっています。天、地、何億という項目、そして人類は神のあらかじめ計画された願いにしたがっています。ですから宇宙には、一つの願い、神の願いがあります。この願いは神が計画されたがゆえに、だれ一人、何一つ、それを覆すことはできません。神はご自身の中でこの願いをあらかじめ計画されました。彼はこのことについては、だれとも協議されませんでした。
 わたしたちは見てきましたように、エペソ人への手紙第一章九節は、神の大いなる喜びに言及しています。すべての人は喜びを求めています。わたしたちがそうであるなら、神も当然、喜びを求めておられるはずです。あらゆる生き物は喜びを求めています。事実、あなたが生きれば生きるほど、さらに多く喜びを必要とします。神は最も生きている方ですから、確かに最も喜びを必要とされます。もし堕落した罪人であるわたしたちでさえ喜びを必要とするなら、生ける方である神はどれほど喜びを必要としておられることでしょうか? 
 ローマ人への手紙は、堕落した人の状態という観点から始めていますが、エペソ人への手紙は、神の大いなる喜び、神の心の願いという観点から書かれています。それでは、神の大いなる喜びとは何でしょうか? 神の大いなる喜び、それは神ご自身をわたしたちの中に分与することです。これが神の唯一の願いです。神はご自身をわたしたちの中に分与することを「夢見ておられる」と言ってもよいでしょう。彼が求め、切望しておられるのは、彼の選びの民にご自身を分与することなのです。
 多くのクリスチャンは、わたしたちにご自身を分与するという神の願いを軽んじています。彼らはこのことを顧みないで、むしろいかに聖となり、霊的になり、勝利を得るかという教えのほうに注意を払うかもしれません。多くの人たちは、神が一つのこと――わたしたちにご自身を分与すること――を欲しておられるということを聞いたことがありません。
 ある意味で、信者はあまり多く神の分与を受けなくても、「聖く」されるかもしれません。しかし、そのような聖は真実なものではないので、確固としていません。しかし、神がわたしたちの存在中に分与されるなら、わたしたちは本当に聖くなるでしょう。実際には、聖とは、神がわたしたちに主観的に分与されること以外の何ものでもありません。客観的な神はご自身に対して聖であり、ご自身だけが聖なのです。しかし主観的な神、すなわち、わたしたちに分与された神は、わたしたちの主観的な聖となります。ですから、わたしたちにとって、真の聖とは、わたしたちの存在に分与された神なのです。すべてのことで彼ご自身をわたしたちに分与すること、これが神の大いなる喜び、神の心の願いです。


神がキリストの中で立てられた永遠のご計画

 神のエコノミーとは、神がキリストの中で立てられた永遠のご計画です。これについて、エペソ人への手紙第三章十一節は言います、「神がわたしたちの主キリスト・イエスの中で立てられた、永遠のご計画にしたがって」。もろもろの時代にわたる目的は、永遠のご計画、永遠の目的、神が永遠の過去に立てられた永遠の目的です。
 神はキリストの中で、永遠のエコノミーを計画されました。聖書で啓示されたそのキリストは三一の神の化身であり、彼は受肉、人の生活、十字架、復活、昇天、降下を含むすべての手順を経られました。このようなキリストの中で、神は永遠のエコノミーを計画されました。ですから、キリストは神の永遠のエコノミーの要素、領域、手段、目標、目的です。キリストは神のエコノミーにおけるすべてです。事実、神の永遠のエコノミーの全内容はキリストです。キリストはこのエコノミーの中心、円周、要素、領域、手段、目標、目的です。エペソ人への手紙第三章によれば、このエコノミーはキリストの中で計画されました。


三一において、選びの民に神ご自身を分与する

 神の新約のエコノミーとは、三一において、選びの民に神ご自身を分与する神の計画です。どのようにして神は三一において、選びの民に神ご自身を分与されるのでしょうか? この分与には三つの段階があります。第一に、それは父なる神からです。御父は源であり、起源です。第二に、この分与は経路である御子を通してです。第三に、神の分与はその霊なる神にあってですが、彼は手段、領域です。父なる神から、子なる神を通して、その霊なる神の中で、このような三つの段階によって、神は選びの民にご自身を分与されるのです。(「新約の結論」(1) メッセージ1,2 ウイットネス・リー著 日本福音書房










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