大阪に在る教会-教会の歴史3-





教会には聖職階級はない

 マタイによる福音書第二十章と第二十三章で主イエスは、彼の弟子たちの間にはどのような人の規則や地位もあってはならないと、はっきりと言われました。パウロの書簡は長老が教会の指導者であることを啓示していますが(ヘブル13:7、17、24)、彼らは人為的、この世的方法で指導するのではありません。長老は、地位的な、あるいは聖職階級の意味での指導者ではありません。彼らは模範となって、率先して主の道にしたがわなければなりません。また彼らは、教会の上に何の主権も行使するべきではありません。これは、ペテロの第一の手紙第五章一節から三節と、テモテへの第一の手紙第三章一節から七節まで、はっきり教えられています。わたしたちは教会におけるリーダーシップについて話す時、この世的な理解の影響下にあってはなりません。この世では、指導者たちは他の人の上に権威を持ち、他の人を支配します。教会では長老は指導する人たちですが、支配者ではありません。彼らは模範となって、率先して仕え、教会を顧みて、信者たちが同じ道に従えるようにするべきです。
 わたしは教会の中にはどんな階級や地位もあってはならないことを、強調したいのです。教会のどんな聖職者階級も、主は憎むべきものです。カトリック教会の人たちが彼らの僧職たちを「神父様」と呼ぶのは恥です。マタイによる福音書第二十三章九節から十節で、主は言われました、「また、地上のだれをも、父を呼んではならない。あなたがたの父はひとりであり、それは天にいます方だからである。また、教師と呼ばれてはならない。なぜなら、あなたがたの教師はひとりであり、それはキリストだからである」。もし大いなる者でありたいなら、わたしたちはしもべ、奴隷となるべきです(11節)。わたしたちの間の最も大いなる者は、わたしたちの奴隷です。わたしたちは進んで、兄弟姉妹たちの奴隷になろうとするでしょうか? わたしたちは奴隷となって、兄弟姉妹に仕え、キリストを供給する必要があります。マタイによる福音書第二十章二十五節から二十八節と第二十三章八節から十二節は、御言のうちでとても重要な部分です。これら二箇所の御言に基づいて、教会の中には、どんな種類の聖職者や教職者の根拠もありません。主はわたしたちはみな兄弟である、と言われました(23:8)。



教会の中に宗教はない

 わたしたちはまた、宗教が教会に侵入するのを警戒する必要があります。ガラテヤ人への手紙第六章十五節でパウロは言いました、「割礼も無割礼も重要ではありません。重要なのはただ新創造です」。この節の前後関係によれば、割礼は宗教的規定のことを言い、無割礼とは宗教的規定がないことを言います。これらはいずれも重要ではありません。重要なのは新創造です。新創造とは、教会を伴うキリストです。割礼は律法の規定です。新創造は、神聖な性質を伴う命の傑作です。わたしたちは、どんな宗教的な規定からも離れて、新創造の実際に生きる者となるべきです。過去、ある人たちは、宗教的規定を顧みました。わたしたちは過去の過ちを繰り返すべきではありません。過去の失敗はわたしたちへの警告と教訓となるべきです。わたしたちは新創造だけを顧みるべきです。新創造とは、教会を伴うキリストとキリストを伴う教会です。


宗教は教会を迫害する

 ガラテヤ人への手紙第一章十三節は、パウロが宗教の中にいた時、神の召会を激しく迫害し、それを荒らしたことを啓示しています。これはわたしたちが宗教的なことを保持する限り、教会の迫害者となることを見せています。わたしたちの宗教は、教会にとって一つの迫害です。ある人たちにとって、「宗教」とは積極的な言葉ですが、わたしたち教会生活を実行している者にとっては、それは否定的な言葉です。宗教は、真の教会生活にとって損害です。もしあなたがたが教会の中にいるなら、宗教の外側にいます。もしあなたがたが宗教の中にいるなら、真の教会生活の中にいることはできません。わたしたちが指摘したように、教会は有機体です。キリストのからだ、新しい人は宗教ではなく、最も聖書的な宗教でさえありません。教会はからだとしての有機体、新しい人、神の王国、神の家族、神の住まい、キリストの妻、戦う戦士です。宗教は召会を迫害し、宗教はキリストに対立します。パウロはとても宗教に熱心でしたが、宗教にそんなにも進んでいた者に、神はキリストを啓示することを喜ばれました。神は御子を彼の中に啓示することによって、彼を宗教の世界から救い出されました(4節、15−16節前半)。


教会は、宗教、哲学、聖職者階級制度とは完全に別である

 宗教とは何であるかを理解する必要があります。宗教とは、その霊としてのキリストなしで神を礼拝し、神に仕え、神のために何かを行なうことです。わたしたちの行なうことは、実に善良で、根本的で、霊的であるかもしれません。ところがもしわたしたちの行なうことが、命を与える霊としてのキリストなしであるのでしたら、それは宗教です。宗教だけでなく、哲学、聖職者階級制度も教会の本体ではないのです。




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